伝統的建造物保存地区 金ケ崎町を歩く|ウォーキング日本縦断〈137〉

盛岡駅からJRで約1時間のところにある金ケ崎町は、基幹産業は農業ですが、工業団地ができてからは工業製品の出荷額が県内一位になった、工業の町でもあります。
 ところが、この町は江戸時代には仙台藩(伊達藩)と盛岡藩(南部藩)の藩境にあり、仙台藩の北端を守る防御の要だったのです。江戸幕府が1615年に定めた一国一城令の後、仙台藩は各地に「要害」という名の城を置き重臣と家臣団を配置しました。金ヶ崎要害もその一つです。

 国選定「城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」は、金ケ崎要害と武家町のほぼ全域にあたります。武家町は、7つの小路に沿って城を囲むように配置されていました。侍住宅は小路と敷地の境には石積みと生垣が設けられ、建物は主屋、馬屋、厠が並ぶ「三ツ屋形式」と言われる配置になっていて、盛岡藩の南部曲がり屋とは異なる作りになっています。敷地の手前に主屋があり小路に近いほうが座敷になっていて、殿様が訪れた時すぐ座敷に通せるようになっていました。敷地の奥の方では畑を作り、果樹を植えていて、半士半農の生活をしていました。
 
 金ケ崎駅から東に向かい、旧奥州街道を渡ると諏訪小路に着きます。生垣が築地塀のように整えられた細目家を右に見てまっすぐ進むと、旧坂本家侍住宅があります。庭にも入る事ができ、イベントが開かれることもあります。その後金ケ崎神社に向かい高台から北上川を展望すると春には桜並木が見下ろせます。金ケ崎要害二の丸跡を通り片平丁・旧大沼家侍住宅では三ツ屋形式を見学できます。近くの「金ケ崎要害歴史館」ではガイドによる説明を聞く事ができます。隣の大松沢家ではレストランも開業しています。その後は左右の庭を眺めながら表小路を江戸時代にタイムスリップした気持ちで歩きましょう。

 金ケ崎町役場には展望塔があり、誰でも上がって町内を見る事ができます。そこから金ケ崎駅に戻ります。およそ5㎞、8000歩のウォーキングです。

「スポーツのひろば」2025年3月号より

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