大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公の義父といえば徳川家康。浜松は、徳川家康が17年間いた浜松城のある街です。家康にちなんだ史跡があちこちに残っており、それらをめぐる「家康の散歩道」を紹介します。
まずは医療センター方面のバスに乗り医療センターで下車(15分)、すぐに太刀洗の池跡地①があります。家康の正室築山御前の最後の地です。そこから博物館に向かって歩き、蜆塚遺跡も見ながら蜆塚中学そばの林の中を歩いて三謡公園を通り宗源院②、築山御前の廟所西来院③へ。少し行くと普済寺④、ここは三方原合戦の時に浜松城を守るため「おとり」として焼かれたお寺です。
お墓のすぐ横をすり抜けると、遠州鉄道奥山線廃線跡(軽便鉄道跡)に入ります。車は入ってきませんからのんびり歩けます。軽便鉄道跡から国道257号を北に歩くと浜松北高校近くに崖があります。犀ヶ崖古戦場⑤です。徳川軍がこの崖に布を敷いて武田軍を谷底に落とし、落ちた兵士のうめき声を鎮めるため遠州大念仏が行なわれ、今もお盆には新盆の家では大念仏を見ることがあります。
軽便鉄道跡に戻り、亀山トンネルを通り、浜松城⑥に入ります。春は桜、秋は紅葉の名所で昔は動物園でした。アップダウンが気持ち良く、お城は再建されたものですが天守からの眺めは最高です。浜松市役所南側に三代目の家康公鎧掛松⑦があります。城東側の引間城跡に東照宮⑧があり、少し北の遠州病院近くに引間城主椿姫観音⑨があります。遠鉄電車高架下に徳川秀忠誕生の井戸跡⑩があります。昔はここじゃなかったと噂もあります。ここから浜松駅はすぐです。ここまでで、6・5kmです。
浜松に住んでいたころの家康は苦労続きでした。元亀3(1572)年、武田信玄が攻めてきた時、敗戦で命からがら城に逃げ帰るときに、ウンチをお尻につけたまま帰ったり、餅の代金をおばあさんに取りに追いかけられたり…という話が伝わっており、バス停にも「小豆餅」、「銭取り」などの名前が残っています。
「スポーツのひろば」2011年10月号より