和歌山県 濱口梧陵ゆかりの地を歩く|ウォーキング日本縦断〈127〉

今回のコースは、安政元(1854)年の大地震で紀伊半島一帯を襲った津波による被害を最小限に抑えた濱口梧陵ゆかりの地を案内します。

JR湯浅駅からスタートし、湯浅町と広川町を跨ぐ海に近い「なぎ大橋」を渡り、二つ目の信号を左に折れるとそこに養源寺の南門が見えてきます。養源寺は、徳川吉宗の生母・浄圓院が信仰していた日蓮宗大黒天を祀っています。吉宗が四男ながら紀州徳川家5代藩主となり、後に将軍にもなったことから出世大黒天として有名になりました。

この後、稲村の火の館に行きます。館には、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターがあり、記念館は、梧陵に関する資料などが展示されています。津波防災教育センターは、映像や体験を通じ地震津波の恐ろしさを知るとともに津波災害から大切な生命やくらしを守る方法を知ることができます。記念館から海に向かい、広村堤防(※)へと足を運び、耐久社に向かいます。

耐久社は、濱口梧陵・濱口東江・岩崎明岳によって剣術・漢学を教授する稽古場(私塾)として創立されたのが始まりで、変革を経て現在の耐久中学校となっています。

そして、今回の最終の見学先である廣八幡宮へと向かいます。廣八幡宮は、津波災害の際、梧陵が稲むらに火を放ち村人たちを一時避難場所となった高台にある神社です。現在も津波避難場所に指定されていて、2013年には、津波避難施設が設けられました。毎年11月5日(世界津波の日)に広川町で開催されている「津波祭」の式典後には、廣八幡宮への避難訓練が行われています。また、神社敷地内に濱口梧陵碑(勝海舟による撰文)があります。

廣八幡宮のあと帰路につき、JR湯浅駅がゴールです。歩行は約8kmです。

※広村堤防は、高さ5m、根幅20m、延長600mの大防波堤(1858年完成)。この工事は梧陵などが私財を投じ、日払いで村人たちを雇用することで、人々の離散を食い止めたと言われています。

「スポーツのひろば」2024年3月号より

タイトルとURLをコピーしました