トレーニングのリアリティを探る

新スポ連 スポーツ科学研究所「第16回オンラインシンポジウム」(2023.5.27)より
山崎 健(新潟大学名誉教授)

問題提起 パフォーマンスとトレーニングの構造を探る

なぜ不適切なスポーツ指導がなくならないのか

スポーツにおいて、なぜパフォーマンスの改善が求められるのか。それはやはりスポーツが持つ楽しさ、達成感、幸福感につながるからだと思います。ある程度の努力をした結果、それまでできなかったことができるようになったり、競技のレベルが上がったりすることで、「やったー!」という肯定的な感情の醸成に貢献しているわけです。

パフォーマンス改善のために行われるトレーニングの理論と方法は、科学的な諸原則によって構成され、その効果が保証されることが求められます。

ところが、パフォーマンス改善とトレーニング方法との関係は、とても複雑で個別的かつ限定的です。多様な解釈が成立するという問題があります。

根拠の薄い精神主義や無意味なトレーニングの押し付けでも、一定の効果が出てしまうこともあります。最近問題視されている「暴力」「ハラスメント」「精神主義」などを含めた不適切なスポーツ指導が根絶されない背景には、トレーニングにおける個別性や限定性が十分に解明されていないことと関連しているものと思われます。

成績が良ければどんな指導でも良い?

トレーニングのリアリティが重要な理由は、不適切なスポーツ指導がなくならないからです。選手の成績が良ければ練習の中身は問題視されず、その指導者は優れていると考えられがちです。以前、豊川高校(愛知)の暴力事件で監督が解雇された際、一部の保護者は「全国大会に行けなくなる」と主張し、監督の残留を嘆願したという例もありました。

不適切な指導でもパフォーマンスが向上することがあるわけです。頭が良い優秀な選手が、それをわかっていて自覚的に対応していれば問題ないのかもしれません。

これは私の推論ですが、指導者も自分の無知を理解しているのだろうと思うんです。だから、指導すれば何人かは向上するということで、なかなかスポーツ指導なのかハラスメントなのかというところが判然としないまま実際のスポーツ界、とくに小学生とか中学生の指導では問題になっている。バレーボールの益子直美さんが開催している「監督が怒ってはいけない大会」が話題になるくらい、不適切なスポーツ指導がなくなっていないというのが現実です。

トレーニングの「全面性」と「個別性」

実は、たまたまパフォーマンスが改善される可能性もあります。例えば、いわゆるセンスのある選手(運動スキルの適応性が高い選手)は、いい加減なトレーニングでもパフォーマンスが向上することがあります。

ただし、トレーニングには「全面性の原則」と「個別性の原則」があり、全身をバランスよく鍛えるとともに、各選手の体力や性別、年齢に合わせたメニューを考える必要があります。ジュニア期の選手については、高校生までは速筋系の線維が未発達で適正がわからないので、中学生の段階ではオールラウンドなトレーニングをして、高校2、3年生で適正を判断するのが良いと言われています。

また、トレーニングには継続性と漸進性が必要で、いきなり強い負荷をかけるのは避け、計画的に継続していくことが重要です。スポーツ障害の予防も考慮されるべきです。陸上競技では、有望な女子長距離選手がさまざまな問題で競技を続けられなくなるケースを目にすることがあり、ここに大きな課題があると思います。(次号に続く)

「スポーツのひろば」2023年12月号より

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