宮城 戦国武将伊達政宗が築いた仙台城周辺を歩く|ウォーキング日本縦断〈115〉

仙台城(俗称・青葉城)は伊達政宗が1602年に岩出山から移り伊達62万石の居城として築城した城です。仙台駅から地下鉄東西線の大町西公園駅で下車し、南方に進むと「青葉城恋歌」で歌われている広瀬川に出会い、そこに架かる橋を渡ると間もなく瑞鳳殿前との表示が出てきます。瑞鳳殿は伊達政宗の御霊屋で、静謐な杉木立の中に豪華絢爛な桃山建築の建物が現れます。戦前は国宝でしたが、終戦直前の1945年7月10日の仙台空襲で焼失し、1979年に再建されたものです。

同じ道を大町西公園駅前まで戻り、西に進み広瀬川にかかる大橋を渡ると左手に仙台市博物館入口の表示が見えてきます。博物館一帯は三の丸跡で、家臣は通常はこの場所「巽門跡」から登城していたとのことです。このコースもその道を通り本丸へ上がります。

仙台城には、天守閣が建設されませんでした。その理由の一説には江戸幕府は当時一国一城を指導しており、伊達政宗も徳川家康に遠慮し、指導に従ったのではないかと言われています。本丸には大広間が建設されていました。この場所からの仙台市街地展望は絶景です。

伊達政宗の騎馬像は初代の複製で、初代は1941年の「金属類供出令」の交付により供出され、その跡にセメント製の平服姿像(俗称・平和像)が建てられました。1964年に騎馬像が復元され、平和像は岩出山に移設されています。

江戸時代に二の丸だった場所は、終戦まで陸軍第二師団、終戦後は連合軍のキヤンプ・センダイとして利用され、現在は東北大学川内キャンパスとなっています。また、戦前は国宝の大手門がありましたが、やはり仙台空襲で焼失しました。現在再建するための調査が進められています。

東日本大震災では石垣が崩落するなど被害を受け修復しましたが、今年3月の地震で一部の石垣と伊達政宗の騎馬像が被害を受け、現在は修復のため見ることができません。台座前は騎馬像のパネルが設置されています。

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