御成街道で栄えた東金・八鶴湖から「日吉神社」を歩く|ウォーキング日本縦断〈125〉

JR東金駅下車。先ずは東金市の旧市街地を見ながら「八鶴湖入り口」の看板を見つけます。そこから八鶴湖へ向かいます。

山武地域南西部に位置する東金市は、江戸時代から九十九里地域の商業・文化の中心地としてにぎわいました。東金は江戸時代初期、徳川家康の鷹狩りのために船橋から東金を一直線に結ぶ「東金御成街道」が造られ、宿泊所の東金御殿が築城されると、交通の要衝として発達しました。

近隣の農産物や九十九里の海産物が集積されて江戸に運ばれるようになると問屋街が形成され、「上総の黄金町」とうたわれるほどに発展しました。

桜の名所として知られる八鶴湖は1614年、東金城址に造られた東金御殿(現在の東金高校跡地)の造営にともない家康が御殿から眺めを楽しむために造った人造湖です。

御成街道の開通は、東金を文化交流の地としても発展させましたが、そのきっかけとなったのは、三方を囲む山「鴇(とき)ケ峰」の樹形を湖面に映す光景の見事さから中国の西湖にちなんで「小西湖(しょうせいこ)」とも呼ばれた八鶴湖でした。その魅力に惹かれて、江戸末期には多くの漢詩人や学者が集まって文化交流の場となりました。

八鶴湖から向かったのは日吉神社。日吉神社は上総の国総鎮守とされています。ここは家康ゆかりの神社として知られ、鷹狩りの際、家康は三日間参籠して武運長久を祈願しました。更に、大阪の陣後に訪れた時は大願成就の謝礼に社殿の改築を命じました。

日吉神社の杉並木は家康が社殿改築の際に命じて植えたものと推察されますが、この杉は山武地域に生えるいわゆる「山武杉」で、山武特産の「サンブスギ」の祖先といわれています。

「スポーツのひろば」2023年12月号より

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