「デフ」が「パラ」と統合しないのはなぜ?|SPORTS×TOPICS

今年は、東京で国際的なスポーツ大会が続けて2つ開催されます。8月の世界陸上と、11月15日~26日開催のデフリンピックです。新スポ連が使用する都内の競技場でも世界陸上に加えてデフリンピックのポスターを見かけるようになり「今年は大きな大会が二つ連続か」と話題になっています。新聞やテレビでの報道も、たびたび目にするようになりました。「デフ」とは耳が聞こえない、聴覚障害を表し、「ろう(者)」という概念を示しています。

パラよりも古い歴史を持つデフリンピック

デフリンピックへの出場資格は、聞こえる一番小さな音が55dB(デシベル ※dBは聴力を表し55dBは車の騒音程度)を超えているデフアスリート(各国のデフスポーツ協会に登録)であることです。また、競技に際して選手は一様に補聴器等の補助具は外さなければなりません。
 実はデフリンピックの前身の競技会の歴史はパラリンピックより古く、1924年にパリで第1回国際ろう者スポーツ大会が開催されました。視聴覚障害者の国際スポーツ組織である国際ろう者スポーツ委員会が設立されたのもこの年であり、設立後すぐさま国際大会を開催したことになります。以来戦争による中断などを挟みながらほぼ4年ごとに開催され、東京大会は第25回となります。そして大会名称は2001年イタリア大会から「デフリンピック」と称するようになっています。
 また冬季大会も実施されており、2024年開催のトルコ・エルズムズ大会で20回を数えています。

独自性を重視する「デフ」

 さて、このデフリンピックがパラリンピックとは別に開催されているのはなぜでしょうか。両者が統合に向けて話し合いをもったことは確かなことで、1989年の国際パラリンピック委員会設立に際しては国際ろう者スポーツ委員会も加盟しています。しかしわずか6年後の1995年に脱退。そこには「ろう者自身が運営するろう者のための国際的な競技会であり、参加者が国際手話によりコミュニケーションを取る」という「デフ」独自の運営を譲れなかったからだと見られています。「ろう文化」という言葉もあるとおり、ろう者自身が創造した手話(大会では国際手話)には一つの言語文化としての誇りがあり、その独自性・独創性を重視した判断だったと考えられます。

(参考資料:中村敏夫ほか編『21世紀スポーツ事典』大修館書店(2015年)/一般財団法人全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会WEBサイト

東京デフリンピックで実施される21競技
陸上/バドミントン/バスケットボール/ビーチバレーボール/ボウリング/自転車(ロード)/自転車(MTB)/サッカー/ゴルフ/ハンドボール/柔道/空手/オリエンテーリング/射撃/水泳/卓球/テコンドー/テニス/バレーボール/レスリング(フリースタイル)/レスリング(グレコローマン)

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