ナチスによるベルリン五輪ともう一つの「人民オリンピック」|SPORTS×TOPICS

Author:Biblioteca Nacional de Espana by flicr

1936年に行われたベルリン五輪は、「ナチスのオリンピック」として知られています。開会を宣言したのは、ナチスの総統ヒットラーでした。大会に先立って、初めて聖火リレーが行われましたが、ルートの橋や道路はナチスの軍隊が調査・伴走したため、“侵略の狼煙”と言われました。後に軍隊がこのルートを逆にたどってバルカン半島へ侵略したのですから、それを実証したようなものです。聖火リレーは第2次大戦後に形を変えて復活しますが、その始まりは、歴史の汚点として記録されるべきです。

1936年 ベルリンオリンピック

また、この大会のヒーローは米国の黒人選手ジェシー・オーエンスで、100メートル、200メートル、走り幅跳び、400リレーでいずれも世界新記録で4個の金メダルを獲得しました。しかし「アーリア民族の優生」を誇示するナチスは、黒人のオーエンスを「下等人類」と蔑視するような、人種差別的な大会でもありました。女性監督レニ・リーフェンシュタールによる記録映画が、ナチスのプロパガンダとして利用されたことは周知の事実です。

こうした「ナチスのオリンピック」に対抗して、もう一つの「人民オリンピック」が計画されました。米国、イギリス、フランス、オーストリアなどで、ナチスのオリンピックへの批判や反対の声があがり、「もう一つのオリンピック」を生み出します。

1936年2月にスペインでは人民戦線政府が樹立され、共和制に移行します。そのスペイン政府が、20か国のスポーツ代表を招いて国際会議を開き、7月にバルセロナで「人民オリンピアード」を開催することが決まったのです。

開催趣旨には「国々の平和と友好という真のオリンピック精神を守る大衆的なスポーツフェスティバルで、ベルリン大会に対抗する」とあります。この呼びかけに応えた参加申し込みは、23か国6000人になったそうです。

開会式は7月19日に予定されていました。ところがその前日に、ファシストのフランコによるスペイン内戦が始まりました。19日にバルセロナの「人民オリンピック」は、大会の開会を宣言しましたが、戦火の拡大のため、競技中止を余儀なくされました。ファシストが始めた内戦によって、「幻のオリンピック」になったのです。(ひろば編集委員・西條晃)

参考資料
広畑成志「アテネからアテネへ オリンピックの軌跡」本の泉社2004年

 

                                                                      

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