スノーボードにブーツを固定したのは日本人|SPORTS×TOPICS

スノーボードには両親がいます。父親はサーフィンであり、サーフボードです。サーフィンがハワイから米国本土に伝わってから、海ではなく雪の上でサーフィンをしたいという欲求がスノーボードを生み出しました。

母親はスケートボードです。米国のカリフォルニアでサーフボードに車をつけたスケートボードが生まれ、ハーフパイプや回転技がスノーボード競技に引き継がれました。ただ、両親であるサーフボードやスケートボードには固定具がありません。

雪用のサーフボードを作り、初めてブーツを固定するバインディングをつけたのは、日本人の田沼進三です。

田沼は神奈川県の湘南でサーフボードを製造販売していました。東京の女の子たちに誘われてスキーに行くことになり、雪の上で滑るサーフボードを作りました。その後、米国の雑誌などを頼りに改良をつづけ、1979年に「モス・スノースティック」という名称の、固定具がついた雪用のボードを発売しました。

1980年代の米国ではスキー離れが進み、スキー場は新しい顧客を求めていました。一方、スノーボードができるゲレンデを求めるボーダーがありました。そこで、「足を固定でき、流れ止めをつけたボード」などのガイドラインによって、スキー場でのスノーボードが可能になりました。米国ではスキー場で滑るために、バインディングが必要になったのです。

日本の80年代はまだスキーの全盛期。しかしバブルが崩壊すると、スキー人口も急激に減り始めました。米国に10年ほど遅れて、スキー場はスノーボードと共存する場所になっていったのです。(ひろば編集委員・西條晃)

〈参考〉田嶋リサ「スノーボードの誕生」春陽堂書店 2021年11月

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