評伝 孫 基禎|スポーツ本Review

2018年に開催された平昌オリンピック、スピードスケート競技女子500mで優勝した小平奈緒とオ3連覇を狙う李相花(イ・サンファ)の二人が、競技が終わってからお互いをリスペクトしあう姿から筆を起こし「オリンピック精神」とはどういうものかを説く。日本の植民地支配下に生まれ「日の丸」をつけて表彰台に立ったゴールドメダリスト孫基禎(ソン・キジョン)のマラソンにかけた人生が語られている。

孫は日本が韓国を併合した1910年の2年後12年8月29日、朝鮮半島北部の平安北道・新義州南敏浦洞で4人兄弟の末っ子として生まれた。小さい頃は生活が貧しくひたすらランニングに精を出していたという。

1928年日本の学校に進学する機会を得て「スポーツで頑張れば周囲の人を元気にし、勇気づけられる」ことに目覚め、帰国後の陸上大会で素晴らしい成績を収めマラソンに必要な持久力・スピードを付けていく。35年11月のベルリン五輪選考会では2時間26分42秒(当時世界最高記録)という素晴らしい記録をたたき出し、すんなり日本代表に選ばれるかと思いきや、日本陸連の横やりがあり、現地での選考会を強いられることに。レース18日前に現地で行われた30㎞の記録会に参加し、南昇竜と二人がレースに出場。結果は2時間29分19秒(当時オリンピック新記録)で孫が優勝。わずか18日前に選考会がなければ、とてつもない記録が生まれていたかもしれなかった。

レース終了後の表彰台での出来事が孫のその後を暗示していた。表彰ではメダル授与の後、国旗掲揚、国歌が演奏される。その際、孫は月桂樹で胸の日の丸を隠すように下をうつむいていた。この時、撮られた写真が朝鮮で発行されている新聞では削除される。本来であればマラソン初の金メダルを獲得した孫は英雄であるべきだが、危険分子として日本への帰国後は警察当局から監視下に置かれ不当な処遇を受けることとなる。

第2次大戦後は韓国のマラソン界を引っ張り、ボストンマラソンでは韓国選手が1位、2位、3位を独占したこともあった。同じ民族が戦う朝鮮戦争での悲劇、88年のソウルオリンピックで聖火最終ランナーの雄姿、日韓友好に尽力した晩年の孫の姿にスポーツ哲学とは何かを教えられる。(園川峰紀)

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