球団と選手、ファンの架け橋だった鳥|SPORTS×TOPICS

ヤクルトスワローズの球団マスコットつば九郎を担当していた球団社員が2月16日に亡くなりました。突然の訃報に、選手や審判、企業など各方面から哀悼の意が寄せられました。

 ほろ苦いデビュー

つば九郎は1994年4月9日の阪神戦(神宮)でデビュー。92年リーグ優勝、93年日本一、そして94年は4位。当時の野村克也監督は、ユニフォームの袖についたつば九郎を見て「これがいかんのや!」と言い、つば九郎は当時消えたくなったと語るほどデビューはほろ苦い年となりました。しかし、つば九郎の自球団にとどまらず、野球全体に対する愛は次第に大勢の人を虜にする存在へと成長していきました。

選手が球団に馴染めるように

つば九郎はスケッチブックにコメントを書く筆談形式で、破天荒キャラを確立。取り上げにくい時事ネタを絶妙なコメントで笑いに変えてしまう天才でした。そんな破天荒な彼ですが、選手にとってとても重要な存在でもありました。

ヤクルトの新人入団記者会見には必ず同席し、緊張する新人の隣で明るく場を盛り上げたり、外国人選手が少しでも早く馴染めるように、練習前に話しかけたり一緒に飲みに行くなどのコミュニケーションを積極的に取っていました。

元DeNA監督のアレックス・ラミレス氏に「アイーン」「ゲッツ」などを選手と一緒に教え、パフォーマンスとして定着させたのもつば九郎。お立ち台で上手く立ちまわれない選手のサポートも、さり気なくこなしていました。他球団マスコットとや選手とのやり取りも、名物的な光景に。そんな光景や活動がネットで取り上げられたことで野球に興味を持った人も大勢います。

 破天荒の裏には

つば九郎はブログもやっており、東日本大震災の被災者の皆さんへ寄り添った内容や、災害などが起きたら必ずコメントを寄せるなど、破天荒なキャラクターとは違う優しい一面もありました。

普段、強めな発言や行動が目立ちますが、人を楽しませたい笑顔にしたい、野球を愛して欲しい…という気持ちが根底にあったからヤクルトファンだけでなく他球団、野球を観戦しない人からも愛されていたのだと思います。

本当にお疲れ様でした。そして愛情のこもったパフォーマンス、大好きでした。ゆっくりと羽を休めてください。

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