三段跳びはとんでもない誤解から生まれた?|SPORTS×TOPICS

 数ある陸上競技のフィールド種目の中で「三段跳び」はどうして生まれたのか?ずーっと不思議に思っていましたが、先日図書館で借りた本で「スポーツを変えたテクノロジー」著者ステイーブ・へイク(訳)藤原多伽夫。白揚社出版(2020年10月10日第1版発行)にその答えが載っていました。著者は、英国シェフィールド・ハラム大学で教鞭をとる学者で、スポーツ工学研究分野で精力的に活動しイギリスのオリンピックチームのメダル獲得に貢献した事でも知られているといいます。

 古代オリンピックでの「走幅跳」の記録は、紀元2世紀に書かれたエピグラム(風刺的な短詩)でクロトン(クロトンはイタリア南東部にあったギリシャの植民都市)のファウロス(紀元前5世紀の五種競技の選手)がたたき出した55フィート(16m以上)とされていましたが、この記録は1896年第1回近代オリンピック開催当時の選手が飛べた距離の2倍以上となりどう考えても不可能な記録でした。

 古代史学者達は「三段跳を含む連続跳の記録か、記録の単位が今日と違っていたのではないか」「当時すでに連続跳の競技があったのではないか」と考えました。文献によると三段跳の原型は19世紀初め頃スコットランドで行われていた「石けり遊び」が起源とあり、その後19世紀末になるとアマチュアの陸上競技大会で他のフィールド競技とともに導入され、1896年から始まった近代オリンピックの種目として採用され今も行われています。ただ、跳躍法は定まっていなかったともいいます。

 そして月日は流れ、ファウロスの記録が破られたのは1960年ポーランドのヨセフ・シュミットが三段跳びで17.3m(55フィート10インチ)の記録を出した時。同じ年にハロルド・ハウスという学者が、幅跳びの謎の発端となったファウロスの記録は二つのパートからなっていることを指摘。前半はファウロスは50プラス5フィート飛んだと書かれ、後半は円盤を100マイナス5フィート(約29m)投げたと書かれている。跳躍は並外れて優れた記録だが、円盤投げは古代ギリシャの基準からしてもお粗末な記録。数字が整っていることが重要であって、5や50,100というきりのいい数字が使われていることが怪しい。エピグラムはきりのいい架空の数字をあしらった好編であり、特定のメッセージを読者に伝えようとしていると指摘。そのメッセージとは「幅跳びが得意でも円盤投げは苦手な人もいる」「すべてが得意な人はいない」ということを古代ギリシャ風に伝えている。のではないかと。

 現代の三段跳は元のメッセージの誤解から生まれたというハロルド・ハウスの考察は拝聴してもいいのでは。もし、1896年当時このことがわかっていたら「三段跳」という競技は別の発展を辿ったかもしれませんね。4世紀にギリシャ文明か滅びてから復活に至るまで凡そ1500年の時間が経っての「三段跳」とういう競技が近代オリンピックで再生し、その後日本のお家芸にまでなったというのは夢がありますね

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