山崎 健(やまけん先生)
新日本スポーツ連盟附属スポーツ科学研究所所長。新潟大学名誉教授。専門分野は運動生理学、陸上競技のサイエンス。マスターズM65三段跳&3000m競歩選手兼前期おじいさん市民ランナー。
ドーピング禁止薬物の多くは病気の治療のために開発されたもので、人類の英知ともいえる治療薬がパラリンピックまで含めてスポーツの価値に影を落とすということは何とも皮肉なことです。アスリートも生身の人間ですから病気も怪我もしますので、治療を受けなくてはいけません。
ところが治療に使われる薬は禁止薬物リストにあるものが多いので対応する医師は「TUE(Therapeu-tic Use Exemption)申請」をする必要があります。参加する大会の30日前までにこの申請がない(もしくは申請が却下される)と禁止薬物・禁止方法違反としてドーピング規則違反となります。
その基準は、①使用しないと健康に重要な影響が出る、②他に代えられる治療方法がない、③健康を取り戻す以上に競技力を向上させない、④ドーピングの副作用に対する治療ではない、の4つで、特に③と④は難しい選択が求められます。
この意味で、トップクラスのチームのドクターの仕事は、治療やコンディションの維持とともにドーピング検査への対策でもあるといえます。
現在、五輪や世界選手権に出場するレベルの選手は、世界アンチドーピング機構(WADA)などによる大会ごとの検査や競技会以外の抜き打ち検査を受ける義務(選手本人の同意が前提)が課せられています。また、選手個人のデータベース化も進んでいて、例えば血液検査で酸素を運ぶ血中ヘモグロビン値が「正常範囲」を逸脱していないかなどもチェックされています。
しかしドーピングを隠ぺいする方法も年々巧妙化しています。
ロシアでは、尿検査での「A検体」「B検体」を検査室内の「ネズミの穴」を使ってすり替えていたことが発覚し、競技団体やオリンピック委員会から独立しているはずのロシアアンチドーピング機構は現在資格停止中です。
かつて東独では、男性ホルモンであるテストステロンと代謝産物のデヒドロテストステロンとの正常な比率を維持するために筋肉増強剤摂取とともにデヒドロテストステロンを注射するという方法を用いていました。
今回の北京五輪での混乱は、国威発揚に利用しようとする政府のメダリストやスタッフへの過度の報償制度とともに巧妙な組織ぐるみのドーピング(選手・コーチ・医師・栄養士を含めたシステム)を誘導しているとの疑惑も問題となっています。
一方、トップアスリートだけではなく、私たちの周りにも「サプリメントと称する妖怪」が跋扈(ばっこ)していて、高校生などが「勝利至上主義」に陥っている指導者から情報を得て摂取している実態もあります。スポーツの価値に影を落としているとともに、選手の心とからだの健康を脅かしていることも事実なのです。
「スポーツのひろば」2022年6月号より