北京五輪現地観戦記|全世界は中国を知り中国は世界を知った

不安いっぱいの北京到着

8月8日正午頃中国国際航空に「爆弾を仕掛けた」とのメールがあり、中部国際空港を離陸していた便が急遽引き返すという事件がありました。そのため私たちの成田発21時45分中国国際航空CA168便も30分以上遅れての出発となりました。北京空港到着は約1時間遅れの午前1時すぎとなりました。

冷凍餃子問題、大気汚染問題、聖火リレーをめぐる混乱、そして四川大地震などもあり、不安いっぱいの北京入りでした。これが北京五輪観戦のスタートでした。しかし、17日間の北京滞在と五輪観戦を通じて「全世界は中国を知った、中国は世界を知った」(IOCロゲ会長閉会あいさつ)を実感し共有することができました。以下、2回にわたって競技場内外での見聞をもとに北京五輪と北京を紹介し観戦記とします。

北京生活17日間とオリンピック観戦の概要

今回の観戦ツアーには延べ5人が参加し、天安門から約30km弱の通州区にある李金蘭さん(女性の画家)のマンションの一室(約85平方メートル)にホームステイしました。観戦した競技は、柔道3回、体操1回、陸上4回、ソフトボール1回、野球1回、計5種目10回でした。

競技の観戦だけでなく北京にある6つの世界遺産の内5つ(八達嶺万里の長城、頤和園 明の十三陵、故宮博物院、天壇公園)を訪ね、中国の歴史・文化への理解を深めました。また、ホームステイという条件を生かし、李金蘭さんをはじめその友人たちと交流し相互理解を深めあいました。

価値ある谷亮子選手の銅メダル

最初の競技観戦は開会式の翌日8月9日、注目の柔道女子48キロ級です。柔道会場の北京科技大学体育館に午後5時ごろから大勢の入場者が並んでいました。しかし受付時間の6時を過ぎてもいっこうに入場手続きが始まらず、会場にはいったのは競技開始の7時を15分ほど過ぎていました。

フロアではすでに谷亮子選手とルーマニアのドゥリトル選手の準決勝が始まっており、残り時間1分37秒でした。この時点では両者教育的指導で差はありません。しかし、谷選手の動きにはいつもの鋭い動きがなく、谷選手に再度教育的指導があり、これでドゥリトル選手の優勢勝ちとなりました。

この時私は、国内の代表選考において「実績重視の選考」への批判や「金メダルが当然」のメディアの報道などがあっただけに、次の3位決定戦への気持ちの切り替えが大変だろうと思っていました。

しかし、ロシアのボグダノワ選手との3位決定戦では、見違えるような動きを見せ、2分27秒で一本勝ち。谷選手の見事な集中力に感心するとともに、試合終了後と表彰式の態度にさらに感銘を受けました。試合の礼が終わると、本当にうれしそうな表情で観客の声援に両手を振って応え、それは表彰式でも同様でした。それに多くの観客が惜しみない拍手を送りました。まわりの評価に左右されず全力を出し切った結果のメダルには、色の違いを超えた価値があることを改めて教えられました。

ジャマイカ旋風と応援風景

陸上競技とサッカー決勝が行なわれた鳥の巣(国家体育場)は中に入るとその巨大さに圧倒されました。会場いっぱい10万人の観客も迫力がありました。レースでは、男子200mで世界新記録で優勝したジャマイカのボルト選手の準決勝の走りを見ることができたことは幸せな気分でした。とにかく彼の走りは他の選手を寄せ付けない力強さとさらなる可能性を感じさせました。

女子200m決勝ではジャマイカの選手が1位、2位、3位を独占。この時会場全体がどよめき、一瞬の間があって大きな拍手が巻き起こりました。

帰国後新聞報道を見ると一部に観客の中国選手への「加油」=「ジャーヨー」の応援が異常に大きいとの批判的な論評がありました。しかし、現場での実感では、確かに「ジャーヨー」の大歓声はありましたが、開催国の観客が自国選手への大きな声援をするのはどこの五輪でもあることです。

それよりも、国籍に関係なく素晴らしいレースには大きな拍手があり、失敗すれば「ア~」というため息がもれるなど各レースや競技をよく見て率直な反応をしているように思いました。  陸上では、男子マラソンの佐藤選手への大きな拍手と激励がありましたが、トラックの長距離種目でも最後まで完走する選手には暖かい激励がありました。こうした応援風景はソフトボールや野球の会場でも同様でした。

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