北京五輪現地観戦記|全世界は中国を知り中国は世界を知った

かいま見た市民と町の様子

初めての中国・北京訪問は大変刺激的でした。第一は、人の多さと広さを実感したことです。「13億人の中国」「四国と同じ広さの北京」、ということは知ってはいましたが、実際にその場に身を置いて感じた「広さと多さ」の迫力は全く違うものでした。

中国全土からの「おのぼりさん」を含め、地下鉄、バス、競技場周辺、観光地や中心街など、どこも人・人・人・人…。そして世界遺産でもある天壇公園でダンス、楽器の演奏、コーラス、太極拳、トランプ、麻雀、将棋、バドミントンなどを楽しむ市民の群れ。わずか3時間で行ける近い国に住むこの人たちと理解し合い、協力関係を発展させることの重要性を実感させられました。

第二は、新しいことと古いことが混在し、大きな変化の中にあるということも実感しました。例えばマナーの点では、地下鉄やバスで高齢者に席を譲る若者が大変多い。その一方で、乗車の際は降りる人や列を平気で無視する人が多い。

お店・地下鉄窓口の対応も「にこやかで親切」もあれば「ぶっきらぼう」も。住居も北京中心部や近郊では高層住宅・団地が急増しているが、その一方で郊外で路地を入ると昔ながらの住宅も混在。そして、富裕と貧困、都市と農村・地方の格差なども含め、新しいものと古いものが混在しています。この「混在」こそ現代中国なのかもしれないと思いました。

第三は市民レベルの交流の大切さです。私たちをお世話くださった李金蘭さんは、17日間、画家の仕事をまったくせずに、食事、競技会場への案内、観光の手配と同行など、文字通り24時間お世話してくれました。その中で、お互いに相手を理解しようという気持ちが通じ合い、楽しい対話ができました。

李金蘭さんの片言の日本語を中心に、わからないことは漢字のご本家だけに、漢字を書けば結構意味は通じます。文化大革命と毛沢東への批判、物価の急速な上昇、医療制度、年金制度など福祉・社会保障制度の立ち後れなどについて中国の実態、そして日本の現状などを相互に語り合いました。

国の違いはあっても一人の人間としてお互いに理解し合うことの楽しさがありました。李金蘭さんという心から信頼し合える友人を得たことは、私の北京五輪と中国への関心の持ち方を変える重要な一因になったことは間違いありません。

中日友好協会を表敬訪問

今回の北京滞在中の8月15日、中国日本友好協会を表敬訪問しました。これは出発前に日本中国友好協会のお世話で実現したものです。このことによって、今回の北京オリンピック観戦はより実りあるものとなったと思います。中日友好協会ではちん立□副秘書長、関湧友好交流部長、担当の王麟さんの3人が出迎えて対応してくださいました。

私はまず、四川大地震の被害へのお見舞いと北京オリンピックが成功裏に開催され中国選手が大いに活躍していることにお祝いの気持ちを伝えました。そして、新日本スポーツ連盟の概要を説明した後、今後日本と中国の友好を発展させる上で、市民レベルのスポーツ交流が重要になっており、是非実現したいとの希望を伝えました。

ちん副秘書長は流暢な日本語で、新日本スポーツ連盟について事前に勉強したこと、そして新日本スポーツ連盟は登山の分野で最も大きな構成員を持っていることにもふれながら、市民レベルのスポーツ交流を進めることに賛成である、どんなことから始められるか今後よく相談しよう、という主旨の発言をされました。

懇談の中では、北京オリンピックの中国と日本の選手たちの活躍なども話題になり、ちん副秘書長は卓球の福原愛選手の今後の成長に期待を述べつつ、「彼女の中国語は私の出身地の東北なまり中国語です」と親しみを込めて語っていたことが印象的でした。30分程度の短い時間でしたが、友好的な懇談となり、今後継続的に情報交換を行ない、スポーツ交流の実現の可能性を探求することを確認しました。

最後に

世界の選手たちは、北京の競技場の主人公として、最高のパフォーマンスと友好の精神を見せてくれました。国威の発揚やそれを批判するメディアなど様々な思惑を越えて、北京には確かにオリンピックの精神は息づいていました。

そして、アテネと変わらぬ7万人を越える若いボランティアの活躍と40万人を越える北京を訪れた外国人との交流は、北京オリンピックの最大の遺産となるのではないかと思いました。24日までの17日間はあっという間に過ぎ、帰国に際しては到着時の重い気分は一掃され、もう一度中国・北京を訪問し五輪後の変化を確かめたいという思いで満たされていました。

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