「文字記者」として見た北京パラリンピック

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南アフリカには、もう一人ロンドン五輪での出場を目指す選手がいる。両足義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手だ。北京パラリンピックでは100m、200m、400mで3個の金メダルを獲得した。また、スポーツ仲裁裁判所の裁定でオリンピック参加の道もすでに開かれている。

このように、今やパラリンピックの選手は、オリンピックでも健常者と互角に争える高い水準に到達している。二人とも南アフリカの出身であり、今後この国のスポーツ政策にも注目していきたいと思った。

河合純一選手のコメント

河合純一選手の50m自由形(視覚障害)決勝も見ることができた。早い浮き上がりでプール中央では2位になり、その順位をキープしてゴールした。河合選手は96年のアトランタ大会から3大会連続してこの種目で金メダルをとり、33歳になった今大会で銀メダルに輝いた。その河合選手の英文のコメントが記者席に配布された。

「前大会(04年、アテネ)と比べて、日本は多くのメダルをとれなかった。我々日本のスイマーがベストを尽くさなかったというわけではない。他の国がパラリンピックを重く受け止め努力しているのに、日本はそれができていないということでしょう」と述べ、「トレーニングの時間を見つけるのが難しかった」こと、仕事との両立など練習環境の問題点を指摘していた。日本パラリンピアンズ協会(パラリンピック出場選手の選手会)の事務局長も務めている河合選手が競技環境の向上を訴えたものとして、共感を持ってこのコメントを読んだ。

ここで選手の練習環境と、それを反映するメダル数について考えておきたい。前回アテネでの日本のメダルは52個だったのに対し、今回は27個と半減したことになる。減ることを考慮して検討した(選手団長が結団式で語った)予想数39個よりもさらに少ない。減った原因をクラス分けの変更などに求めることもできるが、そこに主な原因があるとは思えない。

確かに、アテネで6個の金メダルを得た水泳の成田選手が障がいの軽いクラスへ移ったし、視覚障がいのマラソンで金メダルだった高橋勇市選手は弱視の選手と同じクラスになったため、メダルに手が届かなかった。だが、国別で見ると上位5ヵ国中の4ヵ国はメダル数を増やしている。中国211個(+70)、イギリス102個(+8)、アメリカ合衆国99個(+11)、ウクライナ74個(+19)。

クラス統合や変更の影響を超える競技・練習環境の改善、特に選手の育成策やそのための予算の確保など、政策面にもっと目を向け、飛躍的に改善することが望まれているのではなかろうか。河合選手がコメントで言いたかったのは、そこだと思った。

バスケ型? ラグビー型?

地下鉄の中で生まれて初めて席を譲られた。腰掛けると同時に、両隣から中国語で話しかけられたがよくわからない。首から下げていたカードの「文字記者」を指すと、「文字記者」と中国語で発音して納得してくれた。どうやらカードを下げた外国人に席を譲ってくれたようだ。よそよそしくないところ、日本人には無遠慮とも思えるほど他人に興味を持ち、サラッと行動に移すところが気持ちよかった。

なにしろ人が多いから、すぐに人間の渋滞が起きる。地下鉄の駅で満員電車並みの混雑に巻き込まれた。この混雑で日本と違うのは、なんとか早く前へ行きたいと後ろからゴンゴン押されることだ。人に触ったり、ぶつかったりしてもあまり気に留めないようだ。スポーツに例えると、日本人はバスケットボール型でルールとしては接触を避け、ちょっとでも触ると謝るタイプ、中国人はラグビー型で押したり触ったりは平気だ。

タックルもありかというと、そんな光景も見た。孫の乳母車を押している女性が、車輪を前の人にぶつけながら進んでいた。白いサンダルの娘さんの素足の上に車輪が何度も乗り上げ、言い争いになった。もちろんここまでやるのはルール違反だが、飛行機の狭い通路でも、登り階段でも混雑するところでは押されるのが常だった。「我先に進んでいく社会」という印象だった。

かつては電車に乗るときもホームに並ばず、電車が着いたら我先に乗り込んでいたそうだ。オリンピックを前に整列乗車が推奨された。地下鉄のホームには赤い腕章の係員がいて、ホームに描かれた線に沿って並ぶように誘導していた。ただ赤い腕章が見えないと並ぶ人は少ない。さてオリンピックとパラリンピックが終わった後、整列は習慣として根づいたのだろうか、それとも「我先」が復活したのだろうか。

中国では旅先での挨拶の習慣を変えなければならなかった。今まで外国へ行ったときは、挨拶など基本用語は現地の言葉を覚えて、それを使うようにしてきた。韓国では「アンニョンハセヨ」、イタリアでは「ボンジョールノ」という風に。そうすることがマナーだと思っていたし、見慣れない東洋人が自分の国の言葉で話すのを喜んでくれたから。

しかし中国では、その習慣はうまくいかなかった。「ニーハオ」と言うと、機関銃のような中国語が返ってくる。その後に英語で続けたりすると「なんだ、コイツ!」という顔をされる。だから始めから挨拶は英語、人に尋ねるときも「すみませんが…」と英語で声をかけることにした。あらかじめ「外国人だ、英語でくるんだ」と思ってもらうと、相手も 英語耳 になって聞いてくれるので、その先が楽になる。顔だけでは外国人とはわからないから、地下鉄でもエレベーターの中でも突然中国語で話しかけられた。そんなときもあわてず日本語か英語で応える、これがトラブルを少なくする最良の方法と気がついた。

大気汚染・ゴミのリサイクル

大会会場では車いすの観客を良く見かけた。バスや電動カーで会場内を移動できるようになっていた。北京市内の観光地でも車いすで回れるよう、段差をなくす応急的な工事がしてあった。パラリンピックを機会に障がい者にもやさしい街づくりが行なわれたようだ。

聞いていた通り、北京の街に青空はなかった。晴れの日でもかすんでいる。標高92mの景山から見ると、すぐ隣の故宮博物院の建物がもうかすんでいる。その先は霞のカーテンの中だ。オリンピック期間中は空がきれいだったと言うから、排気ガスの影響もあるだろうが、それだけではなさそうに思えた。

中国当局もこうした大気汚染を考慮して、パラリンピックの会場内の移動は電動バスや、やや小型の電動カーにするなど、対策を講じていた。ただ市内を走る自動車は、石油燃料なので大気がすぐにきれいになるとは思えない。

ゴミもリサイクルゴミ(ペットボトルや缶など)とその他のゴミに分ける2分別収集が会場や観光地では行なわれていた。分別されたゴミを専用の収集車で回収していた。ただゴミ箱のなかを覗くと入り混じっていて、まだ分別が習慣になっているとは思えなかった。  大気汚染もゴミのリサイクルも、それらを含む環境保護政策全体が、今年の五輪を基点にしてこれから本格化するものと考えられる。北京に青空が一日も早く戻ることを期待したい。

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