雷電|スポーツ本Review

史上最強の“大関”雷電の素顔が今暴かれる?!

ウクライナ出身力士・安青錦関の初優勝・大関昇進や若手力士の台頭などで注目を集める大相撲。その起こりは、遠い昔の「力比べ」で始まったといいます。言い伝えでは力自慢の当麻蹴速(たいまのけはや)と対戦相手に名乗りを上げた野見宿彌(のみのすくね)が天皇の前で戦い、二人とも力を出しつくし宿彌が勝利。褒美として蹴速の領地が与えられたといい力の強い者が勝ち、勝てば何かを得て負ければ何かを失うといった単純なルールが始まりでした。

その他にも、大相撲には、四股で邪気を払い豊作や無病息災を祈り、蹲踞で相手への敬意と無武装であることを示し、塩まきで土俵を清め安全を祈願するなど、神事に由来する所作が数多く残されています。

物語の舞台は、徳川将軍による上覧相撲が行われていた江戸後期(寛政年間~嘉永年間)の江戸。主人公は上覧相撲を仕切る雲州松江松平家家中、石積権左衛門。祖父から家督を継ぐ前は相撲に関心が薄かったが、大関・雷電為衛門と出会い、八百長を否定し真剣勝負に挑む姿に心打たれ、上覧相撲の仕切りに身を投じていく。そこで明らかになる、史上最強とまで謳われた雷電が何故「横綱」になれなかった理由とは…。

当時は現代のような年6場所ではなく回向院での春秋年2場所の定期興行。庶民の娯楽として絶大な人気を得ていたといいます。その中でも当時抜群の成績を残していた雷電に対して唯一勝ち越していた花長山との戦いの描写はまさに手に汗を握る展開。果たして史上まれにみる戦いの行方はいかに? 今の大相撲に繋がる名前が頻繁に出てくる展開に、相撲人気が高い今是非読んでみたい1冊です。

注)江戸時代「横綱」という地位は番付上には存在せず制度として始まったのは明治時代に入ってから。物語では雲州松江藩と上覧相撲仕切りを争う肥後細川藩との確執から「横綱」免許を授与する吉田司家の推挙が得られなかったと展開している。

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