「文字記者」として見た北京パラリンピック

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アクレカードは神通力

北京では生まれて初めての体験がたくさんあった。まず記者としての初体験から始めよう。記者としてパラリンピックに参加が認められると、「アクレカード」という資格認定証を受け取る。このカードが北京では不思議な神通力を持っている。会場へ行く地下鉄の切符売り場でカードを見せると、ニッコリ笑って無料で切符を渡してくれる。帰りはちょっと違う。地下鉄のオリンピック公園駅では切符を発行していなかった。競技の入場券を持っている人は、帰りの交通費が無料になるらしい。だから今度は地下鉄の出口でカードをみせると、改札口を開けて出してくれる。

パラリンピックのメイン会場は白い鉄柵で囲まれた広大な場所で、会場内の移動は大型の電動バスや小型の電動カーを使用する。その会場の入口に持ち物検査(セキュリティ・チェック)があり、何百人もの観客が並んでいる。  ところが、カードを持っている人は、端のほうの特別の入口から並ぶことなく入場できる。ただカードと言っても文庫版より一回り大きく、“Beijing 2008”という文字が入った派手なストラップがついている。地下鉄の中で胸に下げていると、ジロジロと遠慮のない視線にさらされちょっと恥ずかしい。

また、会場内の個々の競技場の入口にも記者専用口があって、何時間も並んで待っている観客を横目に見ながら、すっと入って記者席に着くことができる。記者席は「文字記者」と「撮影記者」に分かれていて、アクレカードに明記されている。私は「文字記者」となっているので、写真を撮る「撮影記者」の席には入れない。文字記者席には机があって原稿を書いたり、自分のパソコンを持ち込んで文章を打てるようになっている。ただここから望遠レンズで写真を撮ろうとすると、「ここでは写真は取れません」と言われてしまう。至れり尽くせりだが、あまりにもはっきり住み分けができていて、一人で文章も写真も両方と言うわけに行かないところがやや不自由だ。

記者が使うメインメディアセンター(通称MPC)という建物があって、いろいろなサービスが提供されている。競技場への行き方が分からないときは、地図のコピーをくれたり、バスの時間を案内してくれる。広い記者用の作業室があり、自分のパソコンを持ち込んで原稿を書き、本国へ送信することができる。備え付けのパソコンでは競技結果や予定、出走順やレーン、選手の経歴なども検索してプリントできる。ただし中国語と英語だけなので、どちらもできないと不便かもしれない。こう書いてくると記者が特別に優遇されていると思われるかもしれないが、記事を書いてみんなに伝え、北京とパラリンピックを知らせるという避けられない責任もある。

後で知った日本語案内

失敗談も書いておこう。MPCには各国語の案内窓口がある。初めて入った時には韓国語はあったが日本語はなかったので、やむを得ず聞きたいことは英語で通してきた。ところがマラソンを含む全競技が終わってから通りかかると、「日本語」の表示がでていた。声をかけると日本語ができる若い女性だった。そのスタッフがいるときだけ日本語という札が出ていたらしい。もうすでに最終日で聞きたいこともなくなっていたので、写真を撮らせてもらった。日本語でインターネット検索ができるので、「スポーツのひろば」と新日本スポーツ連盟のホームページをみてくれると言っていた。

いやそれよりも最大の誤算は、グラビアに写真を掲載するように頼まれていたのに、競技の写真がほとんど撮れなかったことだ。例外は2つだけ、テニスは小さい方のコートで記者席がなく観客に混じっていたので写真が撮れた。もうひとつはアーチェリーで、係員に聞いたら記者席の下の通路から写真を撮っても良いと言われたので撮影することができた。

国枝の力強いショット

国枝はコート内で生活用の車いすから競技用の車いすに乗り換える。巨大なセンターコートの隣の小さなコートなので、静かで緊張した雰囲気だ。国枝はボールを打つ瞬間に大きな声を出す、「アイッ!」「エイショッ!」、一方相手のオランダ人選手は無言で打ち返す。良いプレイへの拍手、「アウト」「ファウル」の判定の声が良く響く。センターコートの喧騒と比べるとこちらの方がテニス会場らしい気がした。1ゲーム目は6-1で国枝が圧勝、30分足らずで終わった。

2ゲーム目後半になっても国枝のボールのスピードは落ちない、時々130km/hを超える返球もある。オランダのサポーターから「マイケル、ゴー」のコールがかかるが、車いすの操作が速く、ライン際の低いボールの処理もうまい国枝が得点を重ねていく。6-1/6-1の一方的な勝ちだった。

車いすテニスの魅力

1セット目からジュースとアドバンテージを繰り返す白熱したゲームだった。  車いすテニスはツーバウンドが許されているが、このルールが勝敗に意外な変化を与えていると思った。健常者のテニスでは、返球不可能と思われるボールに追いつくことができ、ラリーが長く続く。一時は一方が攻勢と思われたのに、長いラリーの間に攻守が逆転することも多かった。このツーバウンドによる効果こそが、車いすテニスの面白さではないだろうか。

国枝・斎田組は、相手と比べるとボールの速さが10 km/h近く速いようだ。そのスピードがある日本チームに対して、スウェーデン組は良い位置に待っていて返球し、時にはフェイントなど小技を駆使した技巧的なプレイだった。

車いすラグビー 5-8位決定戦、日本vsドイツ

他人の薦めにしたがって良かったと思うことがあるものだ。車いすラグビーの取材もそうだった。初めて観戦したが、心も身体も揺さぶられるものがあった。車いすといっても、これまで見てきたものとはまるで違う。ぶつかっても壊れないように頑丈なバンパーがついている。特にディフェンス用の車いすは、櫓のようなバンパーが突き出ている。車輪の外側は硬い円盤で覆われ、スポークは見えない。まるで装甲車のように改造された車いすだ。

会場に流れるBGMはハードロック、クイーンの曲“We will rock you”が強烈なビートを刻み、体育館全体を揺さぶっていた。選手のファッションはパンクというのだろうか、ドイツ人選手は頭を真四角に刈り上げて金色の筋を入れている人もいる。全体に「ちょっと怖いお兄さん」風だ。

競技が始まると、自分の身体を弾丸にして相手にぶつける「ガッツン、ガッツン」という音が響く。大きくて体重もあるドイツ人選手にぶつかっていく日本の選手は、衝突の反動で車いすごと40~50mも浮き上がっている。激しいぶつかり合いで車輪が壊れ、何度も試合を中断して交換していた。

膝の上にボールをのせてパイロン(コーン)の間を通過すると得点になる。ドイツが先に点をとると日本が取り返して同点に追いつく、一点をめぐる争いだった。体重とパワーに勝るドイツに、日本はマンツーマンでぴったりマークしたり、周りをグルグル回って相手の動きを封じたり、ゴールを妨害する戦術らしい。日本語の「ニッポン」コールの間に、中国語の「リーベン(日本)」コールも聞こえた。ドイツ側が1点先取したところで終わったが、数分遅かったら同点だったかもしれない、そんな拮抗した試合だった。

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車いすマラソンと笹原選手のインタビュー

陸上の女子5千mで転倒事故に巻き込まれ土田和歌子選手がマラソンを欠場したのは周知の事実だろう。車いすマラソンにも転倒事故の可能性があるかもしれないと予想して、メダルに繋げた選手がいる。男子マラソン車いすT54クラスの笹原選手である。ミックスゾーンでのインタビューを紹介しよう。

「作戦どおり後ろから抜けていけた。競技場へ入る直前でクラッシュがあった。下見したときに危ないなと思ったので、先頭集団の最後尾につけていた。(勝負どころは)競技場の中かなと思い、コケないようにそれだけでした。一回くらいチャンスがあるんじゃないかと思って、作戦勝ちという感じです。」

今の気持ちはという質問には、「本当に嬉しいですね。(銀メダルは)信じられなかった」 今年限りでトップアスリートをやめるそうだが、今後のことについては「やりたいことは数えられない、言えないほどある」と言う。やりたいことが数え切れないほどあるという生き方ってすばらしいと思う。

デュトワとピストリウス

外国人選手の中でぜひ見たかったのは水泳のナタリー・デュトワ(南アフリカ)だ。交通事故で左足を失ったが競泳をつづけ、今回のパラリンピックでは5種目で金メダルをとった。北京五輪の水泳で注目されたマイケル・フェルプス(金8個)にも比せられる女性選手だ。50m自由形を自分の目で見たが、泳ぎを見ている限りでは健常者と変わらない。実は彼女はオリンピックでもオープンウォーター女子10kmに出た。さらに次のロンドン五輪にも参加するという。

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南アフリカには、もう一人ロンドン五輪での出場を目指す選手がいる。両足義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手だ。北京パラリンピックでは100m、200m、400mで3個の金メダルを獲得した。また、スポーツ仲裁裁判所の裁定でオリンピック参加の道もすでに開かれている。

このように、今やパラリンピックの選手は、オリンピックでも健常者と互角に争える高い水準に到達している。二人とも南アフリカの出身であり、今後この国のスポーツ政策にも注目していきたいと思った。

河合純一選手のコメント

河合純一選手の50m自由形(視覚障害)決勝も見ることができた。早い浮き上がりでプール中央では2位になり、その順位をキープしてゴールした。河合選手は96年のアトランタ大会から3大会連続してこの種目で金メダルをとり、33歳になった今大会で銀メダルに輝いた。その河合選手の英文のコメントが記者席に配布された。

「前大会(04年、アテネ)と比べて、日本は多くのメダルをとれなかった。我々日本のスイマーがベストを尽くさなかったというわけではない。他の国がパラリンピックを重く受け止め努力しているのに、日本はそれができていないということでしょう」と述べ、「トレーニングの時間を見つけるのが難しかった」こと、仕事との両立など練習環境の問題点を指摘していた。日本パラリンピアンズ協会(パラリンピック出場選手の選手会)の事務局長も務めている河合選手が競技環境の向上を訴えたものとして、共感を持ってこのコメントを読んだ。

ここで選手の練習環境と、それを反映するメダル数について考えておきたい。前回アテネでの日本のメダルは52個だったのに対し、今回は27個と半減したことになる。減ることを考慮して検討した(選手団長が結団式で語った)予想数39個よりもさらに少ない。減った原因をクラス分けの変更などに求めることもできるが、そこに主な原因があるとは思えない。

確かに、アテネで6個の金メダルを得た水泳の成田選手が障がいの軽いクラスへ移ったし、視覚障がいのマラソンで金メダルだった高橋勇市選手は弱視の選手と同じクラスになったため、メダルに手が届かなかった。だが、国別で見ると上位5ヵ国中の4ヵ国はメダル数を増やしている。中国211個(+70)、イギリス102個(+8)、アメリカ合衆国99個(+11)、ウクライナ74個(+19)。

クラス統合や変更の影響を超える競技・練習環境の改善、特に選手の育成策やそのための予算の確保など、政策面にもっと目を向け、飛躍的に改善することが望まれているのではなかろうか。河合選手がコメントで言いたかったのは、そこだと思った。

バスケ型? ラグビー型?

地下鉄の中で生まれて初めて席を譲られた。腰掛けると同時に、両隣から中国語で話しかけられたがよくわからない。首から下げていたカードの「文字記者」を指すと、「文字記者」と中国語で発音して納得してくれた。どうやらカードを下げた外国人に席を譲ってくれたようだ。よそよそしくないところ、日本人には無遠慮とも思えるほど他人に興味を持ち、サラッと行動に移すところが気持ちよかった。

なにしろ人が多いから、すぐに人間の渋滞が起きる。地下鉄の駅で満員電車並みの混雑に巻き込まれた。この混雑で日本と違うのは、なんとか早く前へ行きたいと後ろからゴンゴン押されることだ。人に触ったり、ぶつかったりしてもあまり気に留めないようだ。スポーツに例えると、日本人はバスケットボール型でルールとしては接触を避け、ちょっとでも触ると謝るタイプ、中国人はラグビー型で押したり触ったりは平気だ。

タックルもありかというと、そんな光景も見た。孫の乳母車を押している女性が、車輪を前の人にぶつけながら進んでいた。白いサンダルの娘さんの素足の上に車輪が何度も乗り上げ、言い争いになった。もちろんここまでやるのはルール違反だが、飛行機の狭い通路でも、登り階段でも混雑するところでは押されるのが常だった。「我先に進んでいく社会」という印象だった。

かつては電車に乗るときもホームに並ばず、電車が着いたら我先に乗り込んでいたそうだ。オリンピックを前に整列乗車が推奨された。地下鉄のホームには赤い腕章の係員がいて、ホームに描かれた線に沿って並ぶように誘導していた。ただ赤い腕章が見えないと並ぶ人は少ない。さてオリンピックとパラリンピックが終わった後、整列は習慣として根づいたのだろうか、それとも「我先」が復活したのだろうか。

中国では旅先での挨拶の習慣を変えなければならなかった。今まで外国へ行ったときは、挨拶など基本用語は現地の言葉を覚えて、それを使うようにしてきた。韓国では「アンニョンハセヨ」、イタリアでは「ボンジョールノ」という風に。そうすることがマナーだと思っていたし、見慣れない東洋人が自分の国の言葉で話すのを喜んでくれたから。

しかし中国では、その習慣はうまくいかなかった。「ニーハオ」と言うと、機関銃のような中国語が返ってくる。その後に英語で続けたりすると「なんだ、コイツ!」という顔をされる。だから始めから挨拶は英語、人に尋ねるときも「すみませんが…」と英語で声をかけることにした。あらかじめ「外国人だ、英語でくるんだ」と思ってもらうと、相手も 英語耳 になって聞いてくれるので、その先が楽になる。顔だけでは外国人とはわからないから、地下鉄でもエレベーターの中でも突然中国語で話しかけられた。そんなときもあわてず日本語か英語で応える、これがトラブルを少なくする最良の方法と気がついた。

大気汚染・ゴミのリサイクル

大会会場では車いすの観客を良く見かけた。バスや電動カーで会場内を移動できるようになっていた。北京市内の観光地でも車いすで回れるよう、段差をなくす応急的な工事がしてあった。パラリンピックを機会に障がい者にもやさしい街づくりが行なわれたようだ。

聞いていた通り、北京の街に青空はなかった。晴れの日でもかすんでいる。標高92mの景山から見ると、すぐ隣の故宮博物院の建物がもうかすんでいる。その先は霞のカーテンの中だ。オリンピック期間中は空がきれいだったと言うから、排気ガスの影響もあるだろうが、それだけではなさそうに思えた。

中国当局もこうした大気汚染を考慮して、パラリンピックの会場内の移動は電動バスや、やや小型の電動カーにするなど、対策を講じていた。ただ市内を走る自動車は、石油燃料なので大気がすぐにきれいになるとは思えない。

ゴミもリサイクルゴミ(ペットボトルや缶など)とその他のゴミに分ける2分別収集が会場や観光地では行なわれていた。分別されたゴミを専用の収集車で回収していた。ただゴミ箱のなかを覗くと入り混じっていて、まだ分別が習慣になっているとは思えなかった。  大気汚染もゴミのリサイクルも、それらを含む環境保護政策全体が、今年の五輪を基点にしてこれから本格化するものと考えられる。北京に青空が一日も早く戻ることを期待したい。

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